8月1日~誰一人こぼれることなく
酷暑の日々、照りつける空を見上げて急な白雨などを求めたくなります。
さて、今年もお盆がやってきます。毎年この期間は、初盆をお迎えになるご家族がたくさんお参りになります。
そして、この一年間にお亡くなりになったお一人おひとりを偲びつつ、初盆のお勤めをするのですが、あらためて思い返すとお亡くなりになったのはご高齢のおじいさんやおばあさんだけではありません。
中には幼いお子様もおられます。若い青年もおられます。働き盛りの若いお父さんもおられます。ご両親、あるいは奥様、ご主人、お子様をこの世に残して、先にお浄土に参られた方々がいらしたことを、思い返しながらお勤めをするのです。
そしてあらためて「生死一如」という言葉を深くいただきます。
「しょうじ」とは生きることと死ぬことと書きます。「いちにょ」とは一つの如くと書きますので、「私が生きているという現実と、私が死ぬという現実は常に一体である」という意味です。
私たちは、日常の生活の中で、私が死ぬという現実は、私の人生の道のまだまだ先、いつかは来るだろうがまだまだはるか遠い向こうにあるように思いがちです。
しかし私たちは、誰一人こぼれることなく、一瞬たりとも離れることなく、死と背中合わせの今を生きているということです。
ご高齢でお亡くなりになった皆さまの初盆も、命の尊さや人生の厳しさを教えてくださいますが、お若くして亡くなられた方々の初盆は、なおさらこの生死一如、厳しいいのちの現実を、私たちに問うてくださる大切な期間です。
「人は皆、ひと息ひと息のいのちを今生きている。南無阿弥陀仏のお念仏とともに、怠ることなく今を精一杯勤めよ」。仏となられし方々のお浄土からの呼び声に、静かに耳を傾けるお盆です。
2021年08月01日【385】