12月15日~ 縁が働けばどちらへでも…
早いもので、今年も残すところ半月となりました。
さて、先日、京都の西本願寺に出張した帰り、鹿児島空港の駐車場で事故を起こしてしまいました。駐車場から自分の車を出すときに、早くハンドルを切りすぎて隣の車のバンパーに当ててしまったのです。
相手の運転手はもちろん、周囲には誰もいません。一瞬焦りましたが、。すぐに警察に届けることを思い立ち、空港の派出所に行きました。
私が事故を届け出ると、警察官は、「あなたみたいに届けてくれる人はいい。駐車場での事故はほとんど届ける人はなく、当たられた側は皆当たられ損になるのですよ」と、おっしゃいました。
結局、ナンバーから当てた車の持ち主を捜して頂き、後日、お詫びを申しお許しを得て、車を修理させて頂きました。
この出来事を通して、私はあることを思いました。それは、私が事故を起こし、警察に届けお詫びをしたことは、極めて当たり前のことなのですが、私をそうさせたのは、果たして私一人の考えや行動であったのか、ということです。
いいえ、決してそうではありません。私のこれまでの人生の中で、このような過ちをしたときには自ら警察に届けお詫びを申すように勧める、多くの働きかけやご指導の賜ではなかったかということです。
事故の時、周りには誰もいません。もしかしたら、私はそのまま人知れずこっそりと逃げていたかもしれません。そして、見ず知らずの人の車を傷つけたことを心に秘めながら、それからの毎日を送る身となっていたかもしれません。
浄土真宗に、「お育てにあずかる」という言葉がありますが、少し縁が働けばどちらに向くか分からない不安定な私の心が、幸いにも、この度間違った方へ向かなかったのは、これまで多くの方々の正しい働きかけ、つまりお育ての賜であったと深く思うからであります。
今年も、多くの方々のお育てにあずかりました。そして、このテレホン法話を聞いて頂いて有り難うございました。
新年は、元旦にお話が変わります。皆さま、健やかな年末、よきお正月をお迎え下さい。
2006年12月15日【38】