10月1日~いつでもどこでも私とともに…
食欲の秋、新米がおいしい季節となりました。
さて、昔から、家族のどなたかを亡くされたご家庭で、よく親御さんが幼い子どもに、「おじいちゃんはね、あのきれいなお星様になったんだよ」とお話になる時があります。いったいあれにはどういう意味があるのでしょうか。
時折、まだ満点の星が輝く早朝に散歩をすることがありますが、夜がゆっくりと明けていくにつれて小さな星、光の弱い星から次第に消えていき、やがては大きな星、燦然と輝く星も消えていきます。
しかし実際は、あの星たちは空から消え去ったわけではなく、私たちの目に見えなくなっただけで、いつでもどこでも変わらずそこに存在しています。
お釈迦様はそのことを月にたとえてこうおっしゃいます。
月が隠れると、人々は月が沈んだといい、月が現れると、人々は月が出たという。けれども月は常に住して出没することがない。仏もそのように存在して変わることがない。
古代のインドの人々も、夜昼かわらず月も星も消えることなく存在していることを知っていて、そのことを永遠に変わることなく存在する仏さまとその教えにたとえています。
お釈迦さまは、ご自身が亡くなるときに、嘆き悲しむ弟子たちに、「私はこの世から亡くなるけれど、悲しむことはない。これからは私の残した仏の真実の教えをたよりとしなさい」と話され、時代がどのように変わろうとも、永遠に変わることのない仏の教えを人生の支えとすることを勧められました。
冒頭の幼い子どもへのお話は、きっとそのことを知っておられたご門徒が、亡くなられた方々は仏さまとなって、お月様やお星様のように夜でも昼でも、どこにいても、常に存在し照らしていてくださることを、お話しくださったのだろうと思います。
大切なことは、私たちが敬うべき存在、たよりとする教えは、いつでもどこでも私たちとともにあるということです。
2020年10月01日【365】