3月16日~超がつくような能力持っていようが…
新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、大学などの卒業式が中止となって誠に残念な年度末です。
さて、毎日幼稚園で子どもたちと接していると、人間は一人ひとり、様々な能力を持っていることに気づかされます。
記憶力のいい子、絵が上手な子、字が上手な子、音感がいい子、リズム感のある子、走るのが速い子、運動能力のある子など、また自分のセールスの上手な子やリーダーシップのある子などもいます。
子どもの持つ能力はそれぞれで、逆に、これらすべてを兼ね備えた子どもはいません。
大人も同様で、それぞれに得手不得手、長所欠点はあり。それが人間の魅力でもあり、自他ともにそれを認め合いつつ、互いに広い心でお付き合いしていくことが大事でありましょう。
しかし時折、新しい宗教の教祖に、自分の生まれのすごさを語ったり、超がつくような能力を持っていることを語る人がいます。
例えば、「私はお釈迦さまの生まれ変わりだ」とか、「私は空中に浮かぶことができる」とかいった類いのモノです。
それはそれですごいことですが、へそ曲がりの私には、その教組様が、「私はあなたたちとは元来、生まれも、持っている能力も違うのだ」と言っているようにしか聞こえません。
もし、その人がお釈迦さまの生まれ変わりであれば、真実の仏法を説いてください。体が中を浮くのであれば、オリンピックの選手になって金メダルを取つてみんなを喜ばせてください。それだけのことです。
人間、生まれがどれだけすばらしかろうが、どれだけ超のつくような能力を持っていようが、正しい心を持ち、正しい言動、行動をしなければ、なんの意味もありません。
お釈迦さまは、人間の生まれの善し悪しになんの意味も無い。超能力を語らなければ真実を伝えられないようでは、なんの意味も無いと諭されました。
2020年03月19日【353】