11月16日~「おもてなしの」心とは…
十一月も半ば、鹿児島もいよいよ寒冷を覚える時期です。
さて先日、鹿児島の伊佐市のお寺に永代経法要の布教で出向きました。
私のつたない法話を熱心にお聴聞くださるたくさんの門徒方に支えられて、お仕事を勤めさせていただき、誠に有り難いことでした。
また、布教が終わった後は、そのお寺のご住職が私を、伊佐市の観光へ案内くださいました。晩秋の風情漂う曽木の滝では、「ご講師さん、ちょっとそこへ立って」と、至る所で自前のカメラで私を撮ってくださいました。
夕食の時は、予約くださっていたいたお店でご馳走してくださり、近隣のお寺のご住職も招かれて、楽しく有意義なひとときを過ごさせていただきました。
私が帰る車の中には、いつの間にか、伊佐市名産の新米やお菓子が乗せてあり、ご門徒皆でお見送りいただきました。
お仕事で参りながら、逆に大変なおもてなしを受けたわけですが、頂いた品物以上に、そのお寺のご住職をはじめご門徒の方々の人をもてなす気持ちが伝わってきて、大変有り難く思いました。
「おもてなし」とは、人をもてなすという動詞の丁寧語からきた言葉ですが、「ものを持って成し遂げる」という人に対する接遇のことをいいます。
この場合の「もの」とは目に見える物質的なものと、目には見えないはたらきとの二つがあります。
また、漢字で表と裏、「表裏無し」と書いて「おもてなし」、つまり表裏のない心で人と接するという意味もあるそうです。
仏教でいえば、「布施の心」と言えるでしょう。「布施」とは、自らの計らいを捨てて、ただひとえに相手のこと思ってさせていただく施しのことです。
「おもてなし」でも、仏教でいう「布施」でも、共通するのは、「表裏のない心」「自らのはからいのない心」で、相手のために精いっぱいさせていただくことが大切なことです。
伊佐市のお寺のご住職のお姿に、そのことを学ばせていただきました。
2019年11月29日【346】