8月16日~今生きる私のために…
今年の夏は、猛暑と台風到来の繰り返し。涼しい秋風が恋しい季節です。
さて、お寺や仏教というと、すぐにお葬式やご法事が思いついて、死にまつわるところというイメージを持つ方も少なくはないのですが、その教えを聞きていくと、決してそうではないことがわかります。
例えば、仏教で人間が生前の悪業の結果として堕ちると説かれる地獄、餓鬼、畜生という世界も、ただその結果を、絵空事のように説いているわけではありません。
地獄とは、悪いことをすべて人や物に責任を転嫁してまったく気にしない亡者と、自分のことは棚に上げて他人の失敗や欠点を激しく責め立てる鬼が同居し合い争い苦しむ世界。
餓鬼とは、欲しいものがあると見境なくすぐに自分のものにしようとして、周囲のものに分け与えることをしないものが堕ちて、飢えと渇きの責めを負う世界。
畜生とは、多くのいのちに支えられ生かされていることを忘れ、自分自身の言動や行動を恥じることを知らないものが堕ちていく世界だそうです。
その内容をよく聞くと、単に先の世のことを言っているのではなく、今、自分自身の心の中にある煩悩について細かく説かれていることが分かりますし、それを戒めていることが分かります。
問題なのは、人間という生き物は、普段はそのような邪念がないように思うのですが、縁がもよおせば、怒りや腹立ち、妬みや嫉みなど、自らの心中にどのような心がわいてくるか分からない怖さを持っているということです。
そのような人間に対し、仏教はその心の有り様を問い、正しい道へと導く教えであります。
火の車 つくる巧みはなけれども 己が作りて己が乗りゆく
地獄や餓鬼や畜生の世界は、向こうにあるのではなく、私のつくりつくる世界です。
ですから、その仏さまの教えは常々重ねて聞くことが大切なのです。
2019年08月16日【340】