5月16日~願いとはたらきこめられた名前
忍び音とはホトトギスの初音のこと。姿を見せずにかすかに聞こえてくるので忍び音と呼ばれるようになりました。
さて、自分のものではあるけれど、自分の周囲の人がよく使うものに、「名前」があります。
手紙や書類に自分の名前を書いたり、名刺や自己紹介で使いますが、学校や職場、病院や銀行などで名前を呼ばれたり、使ってもらうことが多いものです。
またこの名前には、それぞれ親の願いがこめられています。最近はキラキラネームというものもあって、一見して読めないものもあるのですが、いずれにせよ、かわいいわが子が、幸せにこの人生を生きていってほしいという親の願いが表されています。
私たちがお称えする「南無阿弥陀仏」も名号といって、阿弥陀如来そのものであり、名のりです。親鸞さまは、この名号をいただくことで私たちの救いが定まることを教えてくださいました。なぜならば、この六字の名号の中に、阿弥陀如来が私を救わんとする願いとはたらきがこめられているからです。
病院や薬局で求めた薬を飲むときに、この薬はどこの誰が、どこで、どのような経緯で作って、どのような成分が入っていてと、調べて飲む人は、おおよそいません。
きっと、誰もが自分の病状に応じて処方されたものを安心して服用するはずです。それと一緒で、南無阿弥陀仏の名号一つをただいただくところに、そのはたらきが私の上に届いてくださるのです。
ただ時折、病院や薬局では、その薬の成分や効き目を教えていただくことも大切でしょう。それをたとえるとお聴聞ということになります。
なぜ南無阿弥陀仏の名号一つで救われるのか。どのようにして名号は成り立ち、今の今、私の上に休むことなくはたらいてくださっているのか。そのおいわれを聞かせていただくのがご法話をお聴聞することであります。
2019年05月18日【335】