4月16日~だからこそ、誰に何を聞くのか?
毎朝、如雨露で草花に水やりをしますが、如雨露とは、もともとポルトガル語で水を噴出するjorro、または水差しを意味するjarraに漢字を当てたものだそうです。
さて、四月八日は花まつりで、お寺ではたくさんの子どもたちが、お釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけてお祝いをしました。
お釈迦さまに限らずすべてのいのちの誕生は、その成長を願う新たな出発点ですからめでたく喜ばしいことです。
しかし、お釈迦さまはその後の生涯を通して、いのちの誕生は老病死をはじめ、その他多くの苦しみの始まりでもあることを諭されました。
ですから、いのちの誕生はめでたく喜ばしいことではありますが、その裏には苦しみの始まりも備わっていることを踏まえて、誕生という意味を受け止めることが必要でありましょう。
また、四月は新たな年度の始まりで、学校や会社、多くの団体では年次総会が開かれます。
この年次総会で欠かせないものが、前年度の行事報告と決算、そして新年度の行事計画と予算案です。
前年度行った行事の内容とお金の使い方を反省して、次年度の行事計画を行いそれに基づいたお金の使い道を話し合います。
思えば、私たち一人ひとりの人生も、確かな方針と行事計画・予算があって、その通りに進めば何も心配はありません。
しかし、人は生まれる前には計画も展望もありませんし、生まれた後もしばらくは自分で計画も立てられません。
だからこそ、聞くことが必要なのです。誰に何を聞くのか。それはお釈迦さまに確かな人生の歩み方と最終点を問い尋ねていくのです。
そのために、お釈迦さまは今より二五〇〇年前、この世にお生まれになったのです。
2019年04月16日【333】