3月16日~目標がはっきりしていないから…
春のうきうきした楽しい気分のことを春興と言いますが、新芽が萌えだし、生命が躍動を始めるからでありましょう。
さて、夏に海で泳いでいると、潮の流れや風によって、知らず知らずのうちに違うところに流されてしまうことがあります。
どうしてそれが分かるかというと、目標とする所があって、そこと違う方向へ向かっているからです。
逆に広い大海原では、目標とする目印がないと一体自分がどこにいるのか、どちらに向かって進んでいるのかも分かりません。
人間の感覚は、普段はしっかりしているように思っていても、少し違う環境になれば意外とそうではないものです。
私たちの生き方も同様のことが言えるのかもしれません。
普段、何事も自分の目で見て考えて、正しく判断できているように思えても、少し状況が変われば欲にかられたり、腹を立てたり、うぬぼれたり、悲しんだり、落ち込んだりと、その時その時の縁によって心の有り様は変化します。
その原因を煩悩と言います。煩悩によって、自分の進むべき方向がずれたことが分かりません。自分が今、どのような状況にあるかも分からなくなってしまいます。それを迷いと言います。
それは、人生の目標がはっきりしていないからです。確かな行き先、目標がはっきりしていないから、迷っていることに気づかない、進路を誤っていることに気づかない。いつまで経っても、どこまで進んでもさまようばかりです。
人生を歩んでいく先には確かな目標が必要です。目標のない旅はたださまようばかりです。
仏教ではその人生の目標を彼岸と言います。それは阿弥陀如来のお浄土の世界です。私の人生に何があろうとも迷うことのない、決して揺るぐことのないまこと真実の世界です。
その目標を確かにさせていただく行事を彼岸法要と言います。
2019年03月16日【331】