2月16日~その時その時の条件によって
「毎日、寒いですね」「早く暖かくなればいいですね」とは、最近のご挨拶の合い言葉。もともと合い言葉は、戦場で入り乱れて戦う時に、敵味方が判別できるように使われた言葉ですが、平和な時代の時節の挨拶だけにしたいものです。
さて、数年前お寺の子ども会で、本堂の阿弥陀さまのお姿を描いたことがありました。
子どもたちが各々阿弥陀さまのお姿を描くのですが、ある男の子は阿弥陀さまのお顔が怒っているように書きます。ある女の子は優しく微笑んでいるように書きます。また別の子は静かに瞑想しているように書きます。同じ阿弥陀さまのお顔なのにそれぞれに受け止め方、描き方が違います。
それと同じことが自然の世界にもあるようです。
お月様は、満月に見えることも、半月に見えることも、三日月に見えることもありますし、月が出た沈んだ、月が欠けた満ちたと表現も異なりますが、それは見る側の受け止め方であって、あの丸い月は昼夜変わることなく存在しています。
鹿児島の中央にでんと構える桜島も、錦江湾を走る車から見ると、様々な姿に形が変わっていきますが、あの雄大な桜島自らが姿を変えているわけではありません。
見る人が、その時その時の条件によって、見方や感じとり方が変わっているだけで、その大きな存在は何も変わらないのです。
阿弥陀という仏さまも、子どもたちにとって、そして私たちにとって、計り知れない大きなはたらきをもった仏さまです。
その姿は、時には微笑んでいるように、時には怒っているように、時には静かに瞑想しているように、様々なお姿を見せられるでしょうが、私たちを見守り救わんとはたらきかけてくださる大いなる存在として、いつでもどこでもどんな時でも、現にいらっしゃるのです。
その智慧と慈悲のはたらきに、気づかせていただく営みをお聴聞といいます。
2019年02月18日【329】