12月16日~幸せごとに敏感に…
今年の師走は、暖かかったり寒かったりで、体が思うようについて行きません。 さて先日は、お寺で報恩講法要が勤まりたくさんの方々がお参りくださいました。また「家族参拝の夕べ」にも、幼い子どもからお年寄りまで本堂いっぱいにお参りくださり有り難いことでした。
その報恩講のご講師が法話の中で、「人は、不幸ごとには敏感であるが、幸せごとには鈍感である」という言葉を紹介くださいました。
なるほど私たちは、他人の不幸ごとにはとても敏感ですし、ワイドショーの視聴率がいいのもそこに一因があるかもしれません。自分のことについても、つい他人と比較して人をうらやんだり嫉んだりすることがあります。人は不幸ごとに本当に敏感です。
逆に幸せごとには、これまことに鈍感です。今日一日、朝昼晩ご飯をちゃんと食べることができて、多くの人様に支えられて仕事を勤め、大きな事故に遭うこともなく安全に過ごすことができました。
友人が、新米が取れたと持ってきてくれました。職場の人がサツマイモを焼いてわざわざ持ってきてくれました。もし私に対し悪い印象を持っていたら、わざわざそんなことはしないでしょう。本当に有り難いことです。
今日一日を心を落ち着かせてふり返ると、決して自分一人の力ではなく、本当に多くのいのちと人様と、尊いご縁の中で生かされたことをしみじみと感じます。
ご講師は、「人として一番悲しいことは、感謝の心を持たないことである」ともおっしゃいました。
人が幸せになれるヒントはここにあるのかもしれません。つまり自分自身の幸せごとに敏感になること。今日一日をゆっくりとふり返ることのできるゆとりと幸せごとへの気づき、そしてそのことに対する感謝の日暮らしの積み重ねです。
今年一年、覺照寺心の電話を聞いてくださって有り難うございました。次回は新年、元旦の朝にお話が変わります。皆さま佳き新年をお迎えください。
2018年12月16日【325】