12月1日~気づこうとも聞こうともせずでは…
例年に比べると寒さが和らいだ師走の入りとなりました。
さて、今月十一日、十二日、十三日の三日間、覺照寺では報恩講法要が勤まります。
報恩講とは、親鸞聖人のご恩に感謝するとともに、私たちをわけへだてなくお浄土にお救いくださる阿弥陀如来の、本願他力の念仏の教えを深く味わわせていただくための法要です。
親鸞聖人は、私たちがお浄土に救われるには、ひとえにその教えを疑いなく聞かせていただくことが何よりも大切だと諭されます。
地獄に墜ちた一人の男に閻魔大王が問いました。「お前はせっかく人間に生まれながら、なぜまたここにやってきたのか?」。男は答えます。「私は忙しすぎて仏縁に遇うことができませんでした」。
「それなら、お前は生前、腰が曲がり、杖をついた年寄りを見なかったか?」。「そういう老人はこれまでたくさん見ました」…。
「病に罹り、やつれて苦しむ病人は見なかったか?」。「そのような病人もたくさん目にしました」…。
「ならば身のまわりで死んだ人間を見なかったか?」。「通夜も葬儀もこれまで数え切れないほど立ち会いました」…。
そのような会話が続いたあと、閻魔大王はその男に告げました。「お前はこれまで、人は日に日に老いていくこと、必ず病で苦しむこと、死なねばならぬ身であることを、多くの縁ある人々がその身をもって教えてくれているのに、常に他人事として、それを自らのいのちの問題と真剣に受け止めることなく、わが身が救われる道を求めることがなかった。残念だがその果報は自らが受けねばならぬ」と…。
阿弥陀さまは私たちを救わんと常にはたらきどおし、願い通しの仏さまですが、私たちがその如来様のはたらきに気づこうともせず、聞こうともせず、まして自らのいのちの現実に目を背けてばかりいては、届くものも届きません。
共々に、阿弥陀さまの本願他力の教えを聞かせていただきましょう。どうぞ報恩講法要へお参りください。
2018年12月01日【324】