11月1日~尊いいのちの領域
収穫、そして食欲の秋です。幼稚園では先日、庭でたき火をして、子どもたちが掘った芋を焼き芋にしました。
子どもたちは晴れ渡った秋空の下で、「お芋さん、ほくほくして美味しい」「お芋さん、あったかい」と口々に言いながら美味しく楽しく頂きました。
そこで気づいたのが、子どもたちが芋に敬いや丁寧、親しみを表す接頭語である「お」と、接尾語の「さん」をつけて「お芋さん」と呼んでいることです。
ふり返ると、お魚、お肉、お米、お野菜、お茶、お豆さんなど、私たちは多くの食べ物に「お」をつけ、あるいは「さん」をつけて呼んできました。
これは、お金では測ることのできない存在、尊いいのちに対して深い敬いと感謝、親しみの表れでありましょう。
以前、学校の給食費の問題で、ある保護者が「給食費を払っているのだから頂きますはいらないと思う」「給食費を払っているのだからなぜ感謝する必要があるの」という意見がありました。
確かに給食費には、農業、漁業の生産者への代金、運送費や仲介業者への代金、調理をしてくださる方々への代金などがすべて含まれていることでしょう。
しかしその中には、私たちが毎日口にする魚や肉、米や野菜などのいのちそのものにはお金は一円も支払っていませんし、彼らは大切ないのちを差し出しても一円たりとも請求はしていません。
さらに、生産者や運送・仲介をしてくださる方や調理をしてくださる方にも、私たちは一度も直接頼んだことはありません。大きなはたらきの中で、多くのいのちと、多くの方々が関わり合って、私たちは日々食事を頂いているのではないでしょうか。
これは給食費という経済論理で考える、あるいは人間の頭でははかることのできない大きなはたらきと尊いいのちの領域です。
秋の恵みに感謝しましょう。手を合わせ「お陰さまで」「頂きます」と、心から敬いと感謝の心で食事を頂きましょう。
2018年11月03日【322】