9月16日~人間の現実のむなしさ悟る
この季節に力なく漂っている蚊のことを後れ蚊、あるいは哀れ蚊といいます。
さて、先日仏事の席でAさんとお話しする機会がありました。
「住職さんとお話をするのは初めてですね」と言われながら、ご自身の近況を話してくださいました。
Aさんには、30代のご子息がおられ、結婚もして子供さんもいらっしゃるとのことでした。
当初、働き盛りのご子息夫婦の姿、そしてお孫さんにも恵まれ、ほのぼのとした幸せそうな家庭を連想しながら、そのお話を聞いていましたが、その後、「実はその30代の息子がとても重い病気を患ってしまったのです」とおっしゃいました。その病気はともすると死をも覚悟しなければならない病気です。
「孫たちのことを思うと、父親の存在がいかに大きいかをしみじみと思います。私はもう何にもいりません。ただ少しでも長く息子と一緒にいたい。少しでも息子がそばにいてくれたらそれでいい」。Aさんは今の心持ちを素直にそうおっしゃいました。
私はそのお言葉聞いて、少しでもご子息の病状が好転すればと切に思うとともに、お経の一節を思い出しました。
「私たち人間は、田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。金銭、財産、衣食、家財道具など、あればあるにつけて憂いは尽きない。また、田がなければ田をほしいと悩み、家がなければ家をほしいと悩む。なければないにつけて、それらがほしいと悩む」。
私たちの毎日は、あれがほしいこれがほしい。あれを揃えなければ、これを求めなければの連続で、それが人間の日々の有り様であるが、たとえそれらがそろっても、何も頼りにはならないし、ほんのつかの間のこと、すぐに消え失せてしまうものです。
Aさんのお言葉は、その人間の現実のむなしさを覚られたお言葉として聞かせていただくことでありました。
2018年09月15日【319】