10月1日~子どもたちの素晴らしさを
季節は秋冷、朝夕の風に冷たさを感じるこの頃です。
さて、幼稚園で日々子どもたちと接していると、子どもたちの素晴らしさを感じることがよくあります。
その一つは、お友だちの長所を素直に認め、褒め讃えることです。
例えば、「今日誰々ちゃんは、先生にほめられたんだよ。すごいね」とか、「誰々ちゃんはかけっこがいつも一番ですごいんだよ」とか、「誰々ちゃんはお絵かきがとても上手なんだよ」など、友だちの長所や、よい出来事を素直に認め、また周囲に対してそれを紹介し、褒め讃えることができる素晴らしさです。
なぜ素晴らしいかといえば、大人にはそれが難しいからです。特に同年代であったり、同じ生業をしてる人の場合はさらに難しいようです。
身近な人に何かよいことが起こると、口では社交辞令でお祝いを申しますが素直に心から喜ぶことができなかったりします。友人が自分よりもよい評価をされたり、自分を追い越していったならば焦りやいら立ちが湧いてきて、心から喜ぶことができなかったり、逆にけなすことさえあります。
それは大人の心には常々、自分は他人と比較して優れているという妄想や、自分を真剣に顧みることをせず、自らの不完全さを知らない驕り高ぶりがあるからです。それ故、周囲の人に何かよいことがあると、それを素直に認めたり褒めたりすることができないのです。
『阿弥陀経』というお経には、阿弥陀仏の本願念仏こそが、一切の人々が等しく救われる真実の教えであることを、東西南北上下のガンジス川の砂ほど多くの仏さまたちが証明し、勧めてくださっていることが説かれています。
仏さまとは、私たちいのちあるものを救わんと、休むことなくはたらきかけてくださっている存在で、言わば阿弥陀仏と同朋の仏さま方が、阿弥陀仏の本願念仏の素晴らしさを褒め讃え勧めておられるのです。
そこには人間の妄想や驕り高ぶりは微塵もありません。ですから私たちはただただ、それを信じて念仏申すばかりです。
2017年10月01日【294】