6月16日~後に残るものが大切にすべきは…
梅雨の季節ではありますが、なかなか雨が降りません。
さて先般、京都の大谷本廟の納骨・永代経法要でお話をさせていただくご縁をいただきました。
四日間執り行われるうちの二日間、四座でご法話をおつとめしましたが、一日中雨が降り続く天候にもかかわらずいずれも満堂の参拝者で、今は亡き方を偲ぶご遺族の強い思いを感じることでした。
以前読んだ本に、亡き方が残してくださるものが三つあると書いてありました。
一つは思い出です。ふり返れば懐かしく尊い思い出ばかりなりとの言葉がありますが、嬉しかったこと楽しかったこと、逆に辛かったこと悲しかったこと、親しき方との思い出はそれぞれにたくさんあります。
二つ目はご遺骨です。ご遺骨は、その方と縁ある方々がいのちのよすが・たよりとするもので、親しき方への思いを断つことが難しく、悩みや苦しみを抱えて生きる私が、ふっと心を寄せるところかもしれません。
三つ目が仏縁、仏さまである阿弥陀仏とのご縁です。
仏教を開かれたお釈迦さまはご自身が亡くなられるとき、それを悲しむお弟子方に、そう悲しむことではない。一人ひとり仏さまの教えを心のより所として生きていきなさいと述べられました。
親鸞さまも、ご自身が亡くなられるときに、この親鸞の身にこだわる必要はない。後に残るものは、本願念仏の教えをより所とすることを勧められました。
これは、亡き方との思い出も、ご遺骨も大切にすべきものではありますが、後に残るものが何よりも大切にすべきは、亡き方がそのいのちをかけて結んでくださった仏さまとのご縁、南無阿弥陀仏の教えをいただくことであります。
仏縁をいただく。仏さまに救われるとは生き方が変わることであります。
共々に、仏さまのみ教えを聞き、仏さまのお心をいただいて、こころ豊かな日暮らしをさせていただきましょう。
2017年06月18日【287】