2月1日~亡き方方が問いかけるもの
立春とは言え、寒さが身にしみる毎日です。
さて、先月十七日は阪神淡路大震災から二十二年目の日でした。
新聞には震災直後、死に直面し迷いと恐怖に苛まれながら、消火や救援に当たる消防隊員の生々しい声が紹介されていましたが、その記事を読みながら当時のことを思い出しました。
私が現場に到着したのは、地震発生から二日後の一月十九日の午後八時頃でした。変わり果てた神戸の町にただ驚くばかりでしたが、その中で、被災されたご遺体を運ぶお手伝いをさせていただいたことを記憶しています。
また、被災された方々が「水がなくなって水の有り難さが本当にわかった」、「地面が揺れて、地面が揺れんことの有り難さがわかった」と述べておられた言葉も忘れることができません。
日本ではその後も、東日本大震災や熊本大地震をはじめとする自然災害が相次いでいますが、悲しくもそこで被災され命を失われた方々が、後に残る私たちに問いかけ、教えてくださることはたくさんあります。
いついかなる時、災害は起こるかわかりませんから、日頃からの危機管理や非常時の避難方法は当然のことでしょう。
普段の私たちの生活の有り様も同様です。
いついかなる時、お別れをしなければならない、無常という私たちの厳しい命の現実と、それだからこそ問われる命の尊さや家族、地域の絆。そして共々に支えられ生かされるご縁の有り難さ。
水や電気などの資源の大切さや食べ物への感謝の心など、今は亡き方々は私たちの命の現実と生活のあり方一つ一つを問いかけてくださいます。
その声と願いに静かに耳を傾けることが追悼、ご法事の場でとても大切なことでありましょう。
2017年02月01日【278】