10月1日~独りよがりの親切に
お彼岸は既に終わりましたが、道ばたでは彼岸花が鮮やかな赤を放っています。
さて先日、大阪に出張し電車に乗っていたときのことです。
途中の駅で、高齢の女性が乗って来て座っている私の目の前に立たれました。
普段より、「お年寄りに若輩が座席を譲るのは当然のこと」と思っている私は、すぐさま座席より立って、「どうぞ、おかけください」と座席を譲りました。
するとその女性は、「いえ、大丈夫です。次で降りますので…」と言い、立ったまま座ろうとはされませんでした。
「そうか、次の駅で降りられるのか」と思った私も、そのまま立って電車に乗っていましたが、なんとその女性は次の駅ではなく、四つ先の駅で降りていかれ、席を譲りそれを素直に受けてもらえなかった私の心には、少々不快なものが残りました。
お年寄りに席を譲るのは当然のこと、当たり前のことと言いながら、心のどこかでは、その行為が自らの善意であるという意識がはたらいているのでしょう。恥ずかしいことです。
他人に親切のつもりでしたことが必ずしも素直に受け入れられたり、感謝されたりするとは限りません。
それは受け取る側の問題があるからです。人は一人ひとり、性格も違えば育った環境も異なります。
社会的な立場も違えば、その日その日の心や体の状態も違います。また、目の前に現れた人によっても対応が異なるかもしれません。
ですから、自分が相手に対して当然のこと、当たり前のこと、親切なこと思ってしたことが、独善の行為の押しつけになってしまうことも多くあり、時には相手を傷つけてしまうことさえあります。
相手を思う心を常に持つことは大切なことですが、相手の心を無視した独りよがりの思いやりや親切にならぬよう、心がけたいものです。
2016年09月28日【270】