7月16日~真の自己の姿に目覚める
今年の梅雨はなかなか明けません。大きな被害が出ないことを願うことです。
さて、先日ラジオで、儒教の開祖である孔子と、その弟子・子貢との会話が紹介されていました。
ある日、子貢が、「わずか一つの言葉で、一生それを守っていれば確かな人生を送れる言葉があるでしょうか」と孔子に問いました。
それに対し孔子は、「それは恕という言葉じゃないかな」と、答えたそうです。 恕とは「思いやり」という意味です。
孔子は、一度きりの人生で大切なことは、周囲のものに対する思いやりであり、自分のことと同じように相手のことも考えることが最も大切なことだと弟子の子貢に教えたのです。
その話を聞きながら私は、お釈迦さまのこの言葉を思い出しました。
「どの方向に心で探し求めてみても、自分よりもさらに愛おしいものをどこにも見いだせなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれ自己が愛おしいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」
仏教では、真の自己の姿に目覚めることを教えます。まことの自己の姿に目覚め、自らのいのちの尊さや存在の重さ、愛おしさが自覚されると同時に、それはそのまま周囲の人のいのちの尊さ、存在の重さ、愛おしさにつながっていくのです。
自分が、こういうことをされたら不快な思いをする。ならばきっと他の人も不快な思いをするだろから、決して私は他の人に同じことをすることはやめよう。
自分が、こういうことをされたらとても嬉しかった。ならばきっとと他の人も嬉しいだろうから、進んで私は他の人にも同じことをしてあげよう。
自己を見つめ、自己に目覚める人は、そのまま他の人への目覚めへとつながっていくのです。
孔子もお釈迦さまも、周囲から敬われ慕われる方々は、きっとそれを日々実践されていたのでありましょう。
2016年07月16日【265】