こころの電話

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6月16日~受け止め方や表現一つで…。

 紫陽花の花が雨に濡れて、いっそう美しく見えます。

 さて先日、朝日新聞で、幸せの国で有名なブータンの記事を読みました。

 ブータンは、「国民総幸福量・GNH」で話題を集めていますが、そのブータンが今、力を入れているのが教育だそうです。

 山村にある小さな小学校での授業模様が紹介されていましたが、質素な民族衣装をまとった生徒たちは貧しくともとても礼儀正しく、授業の前には、必ず二分間の瞑想の時間があり、生徒たちは目を閉じ、静かに心を落ち着かせるそうです。今の日本人、寝るとき以外でこんな余裕はあるでしょうか。

 そして、授業は単なる知識を植え付けではなく、倫理観や社会性、本物を見抜く力などを身につけることに、力を注いでいるそうです。

 資源の大切さを教えることはもとより、例えば算数の引き算の問題で、「四個の卵のうち二個を泥棒に盗まれた。残りは何個?」という問題はだめで、「ある男性が四頭の牛を飼っていた。心優しいその男性は、生活に困っている娘に二頭を譲った。残りは何頭?」という形で問うのです。

 国民総幸福量とは、国民全体の幸福度を示す尺度で、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、幸福を目指すべきだとする考え方ですが、それを教育の場でどのように生かすのか、とてもきめ細やかな工夫がされていると思いました。

 自分の物を失うのにも、盗まれる場合と、周囲の人に自ら譲る場合があります。自分の持ち物が増えるのにも、勝ち取ったり、もしくは盗んだり、あるいは他人からの施しであったりします。

 生活の中で様々な場面が想定されますが、受け止め方や表現一つで、殺伐とした暗い雰囲気となったり、心豊かな明るい環境となったりします。

 教育は積み重ねこそが大切と聞きます。ブータンの教育には、仏さまの教えを根底においた、ゆとりと豊かさ、広がりと深さ、そして智慧を感じます。

 家庭や職場など、あらゆる生活の場で見習いたいと思います。

6月16日~受け止め方や表現一つで…。2012年06月16日【170】

6月1日~まことの親に遇う

 日ごとに気温が上昇し、草木の生長が著しい季節です。

 さて、四月より京都の龍谷大学に勤務することになりましたが、この大学では、毎朝、勤行・おつとめをして一日が始まります。

 深草キャンパスには顕真館という大きな礼拝施設があって、毎朝、教職員や学生の皆さんが共々にお勤めをして一日が始まるのです。

 私もお参りをさせていただくのですが、あらためて有り難いなと思うことは、私たちが仏様にお参りをし、み教えを聞くということは、まことの親の姿に出遇わせていただくことだということです。

 ひとりの人間が、人生を生き抜いていくということはとても大変なことです。

 学生は学生なりの悩みや苦しみがあります。社会人になると社会人なりの悩みや苦しみを背負わねばなりません。

 もし結婚をし、子どもに恵まれたならば、子育ての問題や経済的な問題、家族の問題を背負いながら生きていかねばなりません。

 しかも、その悩みや苦しみは、一人ひとりそれぞれに重い問題で、優劣をつけることもできません。

 「まことの親に出会う」、つまり仏さまに出遇うということは、そのような悩みや苦しみを背負っていかねばならない私に、いつも寄り添い、励まし、支えてくださる親を、心に確かに感じながら生きるということでありましょう。

 この娑婆世界で自分自身が背負った様々な問題は、自分自身で解決していかねばなりません。その悩みや苦しみを即座に解決してくれたり、安易に子に代わって代理人を務めるような親はまことの親ではありません。

 悩めるわが子をつねに案じ、時にはよき方向性を示し、時には励まし、時には戒め、時にはともに泣き、その子が挫けずに人生をしっかりと歩んでいけるようつねに寄り添うのがまことの親のありようです。

 私たちが毎日手を合わせ、お念仏を称える信仰の中に、そのまことの親を確かに感じることのできる生活が開かれるのです。

6月1日~まことの親に遇う2012年05月29日【169】

5月16日~この夏の大きな課題

 五月中旬、一年を七十二の気候に分けた表現では「竹笋生」。少し遅い気がします。

 さて今月五日の深夜、北海道電力泊原発三号機が定期検査のため停止し、日本の原発五十基すべてが四十二年ぶりに稼働ゼロになりました。

 野田政権は、関西電力の大飯原発三、四号機の再稼働を目指していますが、関西の自治体が慎重なこともあってそのめどは立ちません。

 一方、原発を稼働させなければ、今年の夏の電力が足りなくなる恐れがあると電力会社や原発容認派は言っています。

 新聞やテレビで示される予想される電力の数値は様々で、いったいどれを信用していいかわかりません。しかし、大震災による福島第一原発事故の被害は甚大なものであり、その安全性は徹底的に検証されるべきで、今後の動向を注意深く見守るべきでありましょう。

 と同時に、私たちもこれまでの生活の有り様を省みる必要があります。

 テレビや冷蔵庫、洗濯機や冷暖房など、私たちはこれまで大型で最新型で、機能性の高いものを好んで使用してきたように思います。スイッチオンの時間も特別に気にすることなく、夏には冷たく冬には暖かく、必要以上に快適に、そして心地さを求めてきたように思います。

 それら家庭の中での一つ一つを、家族皆で話し合い、節約節電を真剣に考えることが、この夏の日本人の大きな課題ではないかと思います。

 本願寺の大谷光真ご門主さまは、ご法要にてのお言葉で、「今日、人間だけが、しかもその一部の人間だけが資源を貪っていては争いが深まるばかり。節度ある社会、節度ある私の生き方を築かねばなりません」と、おっしゃいました。

 原発事故という後世にまで影響を残す大事故を経験した私たちです。動物も植物も人間も、共に生きる地球の一員として、今何が大切でしょうか。

 私たちには小さなことからしかできませんが、一人ひとりが真剣に考えねばならないこの夏の大きな課題であります。

5月16日~この夏の大きな課題2012年05月14日【168】

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