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9月1日~セミと鳩と人間の命は…。
初秋とは言え、残暑厳しい毎日です。
公園では、賑やかだったセミの声も次第に小さくなり、代わりに虫たちが鳴き始めます。
昔からセミは短命の象徴のように言われますが、命が一週間というのはジンクス的なもので、中には一カ月も生きるセミもいるそうです。
しかし、人間や他の動物に比べると短いことにかわりはなく、一度きりの命を、しかも真夏の一時を精いっぱい鳴き続け、やがて死んでいきます。
お経の中にこのようなお話があります。
昔、インドでシヴィという王様がいました。ある日、一羽の鳩がお城に助けを求めて飛びこんで来ました。すると間もなくしてその鳩を追って一羽の鷹が飛んできました。
そして鷹は、「王よ、その鳩を私に渡してくれ」と言います。鳩をかくまう王様は、「この鳩でないとだめか」と聞くと鷹は、「私はこの数日何も食べておらず、このままだと死んでしまう。だから鳩をよこせ」と答えます。
心のやさしい王さまは、ならば代わりに鳩の肉の分だけ、私の肉を与えよう」と言い、秤をもち出して、一方に鳩を乗せ、一方にその分だけ自分の足の肉を切って乗せます。しかし、秤は動きません。
ならばと、また肉を切って乗せますが秤は動きません。次から次に自分の肉を切って乗せますが、いっこうに秤は動きません。ついに王様は、自分の体ごと秤に乗りました。すると、その時やっと秤が動いて釣り合ったというお話です。
つまりこれは、小さな鳩の命も、人間の命も等しく尊いことを伝えたお話です。
セミはたとえ短命であろうとも、その命を精一杯生きぬいて、死んでいきます。
一つの尊い命、一度きりの命という点では、セミも人間も変わりはありません。
秋に向って次第に小さくなりつつあるセミの声に、いのちの有り様を感じるのもよいのではないでしょうか。
9月1日~セミと鳩と人間の命は…。 | 2012年09月01日【175】
8月16日~人が、人として育つということ。
今年もお盆が過ぎていきました。
各ご家庭では、お仏壇をきれいにお飾りしてご家族でお参り下さったことでしょう。
特に、普段は遠くにお住まいの子どもさんやお孫さんが帰省して、一緒に仏さまにお参りされることは、何よりも有り難いことです。
お仏壇を求めると、その家に死人が出るなどと迷信をいう人がたまにいますが、私は若い核家族のご家庭にも、早くお仏壇をお迎えして家族でお参りをする生活をお勧めしています。
申すまでもなく、お仏壇は、ご先祖方がお参りになった仏さまのお浄土の世界を形に表したもので、私たちが仏さまのお慈悲と智慧を味わい、信仰を深めていく場でありますが、それと同時に、人が人として育れられる場でもあるからです。
例えば、朝夕の食事の前には、必ずお仏壇に手を合わせお参りをします。多くのいのちと多くの方々のお陰によって、今日も食事を頂き生かされている感謝の心がわいてきます。
ご先祖の命日の時に、ご法事を勤めたりしますが、自らの命が親やご先祖とつながっていること、決して自分一人だけの命ではない、命の絆の不思議さを感じさせられます。
人様から頂き物をしたときなど、まず、お仏壇にお供えして、「いただきます」と仏さまにお礼をしてから封を開けます。自分一人で生きているのではない、多くの人様のお陰によって私の日暮らしが成り立っていることを感じます。
人が、人として育つとは、このような仏さまに対する尊敬や感謝の気持ちを持つ日々の繰り返し、積み重ねによってこそ成就すると思うのです。
テレビや新聞では、耳を疑いたくなるような青少年のいじめや暴力が問題になっていますが、世の中からお仏壇を中心にした生活が少なくなりつつある現状と決して無関係ではないと思うのです。
仏さまを中心にしたすばらしき家庭生活を省みたいものです。
8月16日~人が、人として育つということ。 | 2012年08月16日【174】
8月1日~我欲から施しの生活へ。
八月、お盆の季節です。初盆をお迎えになるご家庭もあることでしょう。
さて、お盆は、正式には盂蘭盆(ウラボン)といい、悩み苦しみ多き人間が、仏さまのみ教えによって救われることを意味します。
今から約二,五〇〇年前のこと、お釈迦様の弟子の目連尊者が、修行で体得した先の世を見通す力で、今は亡きお母さんの姿を探しました。するとお母さんは仏さまの世界ではなく、苦しみの世界・餓鬼の世界に墜ちていました。
餓鬼の世界とは飢えと乾きの世界で、生前の欲深い貪りの罪で墜ちる世界です。飢えに苦しむ母親の姿を見て、目連尊者は驚き、水や食べ物を持って行きますが、すべて口元で火となり、母親を助けることが出来ません。
目連尊者はお釈迦様のもとへ助けを求めに行きました。
するとお釈迦様は、「目連よ、そなたの母は我が子一番、我が子大事と、そなたを一生懸命育てるがあまりに、多くの心の罪を犯して餓鬼の世界に堕ちたのだ。我が子を育てるのに多くの心の罪を作らざるを得ないのが母親の逃れ得ぬ性である。目連よ、今そなたがあるのは、苦しみの世界に墜ちてまでも、我が子を育てようとした母のおかげではないか、その恩を忘れてはなぬ」。
そして、我欲にかられた人生を送るのではなく、周りの人へ施しをする尊き人生を送るよう諭されました。
つまりお盆には、「我欲の心を戒め、施しの心、生活を大切にしなさい」という仏さまの教えがこめられているのです。
目連尊者は、そのお釈迦様の教えをいただいて、やがて母親も仏さまの世界に救われていったと言われます。
「お盆には、ご先祖が帰ってくる」といわれますが、ご先祖は霊魂のようなものではありません。光り輝く仏さまとなって帰ってこられるのです。そして、後に残る私たちの人生が尊いものとなるように、すばらしい仏さまのみ教えを伝えるために帰ってきてくださるのです。
その仏さまとなられたご先祖に感謝し、仏さまのみ教えをお聞きするのがお盆の大切な意義なのです。
8月1日~我欲から施しの生活へ。 | 2012年08月02日【173】