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10月16日~な~んだ、ただのアザラシか!
朝夕の冷たい風に、公園では落ち葉が舞っています。
さて先日、お仕事で北海道の旭川市に行きました。
現在勤務する大学関係の会合だったのですが、そこでの記念講演の講師が、赤字経営で閉園寸前の状況から見事自力で復活した「旭山動物園」の園長・板東元さんでした。
この会合のテーマが大学の経営論でしたので、赤字経営からどうのようにして復活したのか、ということを中心にお話をされたのですが、特に私の心に残ったのは園長さんが紹介された園内での一つのエピソードでした。
ある日、観覧に来た親子がアザラシの様子を見ていたそうです。子どもはアザラシが見せる様々な表情や仕草に興味を示し、親が「そろそろ次に行こうか」と促しても、なかなかその場を動こうとしません。
しびれを切らした親が言いました。「もう行こう、これラッコじゃないよ、ただのアザラシだよ」。園長さんは、問題はこの後の、子どもの受け答えだとおっしゃいます。
「な~んだ、ただのアザラシか」と言って親の言葉に同調し、すぐさまその場を親と共に離れたというのです。
つまり、大人やマスコミが大騒ぎするパンダやコアラやラッコは貴重でめずらしくて価値がある。アザラシなどはただの普通の動物と、いのちに優劣をつけ、その価値観を子どもに押しつける大人の姿がそこにあったとおっしゃいます。
ですから、旭山動物園には俗に言うめずらしい動物はいません。どの動物もあきることのないすばらしい普通の動物たち。それぞれの動物がそれぞれの動物らしく、一生を送ることのできる環境を整えて、そのありのままのすばらしさをお客さんに見てもらおうと、職員全員で取り組んでおられるということでした。
省みれば、私たちはついついマスコミに踊らされて、動物のいのちに優劣をつけてしまいがちです。その優劣のサングラスを取ってしまえば、どの動物もすばらしいいのちです。
これは人にも言えることかもしれません。
10月16日~な~んだ、ただのアザラシか! | 2012年10月13日【178】
10月1日~裏を見せ、表を見せて…。
お彼岸も過ぎて、朝夕次第に、肌寒く感じる季節となりました。
さて、曹洞宗のお坊さんで、多くの人々に親しまれた良寛さんの詩に、
裏を見せ 表を見せて 散る紅葉
というものがあります。
いよいよ秋も深まり、これから紅葉の季節。やがて一枚、また一枚、ひらひらと落ち葉が散っていきます。新緑の季節から日照りの強い夏を経て秋を迎え、いよいよ冬間近に散っていく枯れ葉は、裏を見せ、表を見せながら、地面に静かに落ちていきます。
良寛さんの辞世の一句といわれますが、七十歳のときから四年間お付き合いをした、貞心尼のお別れの詩に対し詠んだ句と言われています。
お坊さんでもあり歌人でも有名な良寛さんは、貞心尼と過ごした四年間の歳月は何一つ包み隠すことのない、純粋なものだったことを最後に伝えたかったのでしょうか。それと同時にこの詩は、落ち葉散りゆく姿に、人間の生きる姿を問うた詩と味わうこともできます。
つまり、人間も、いよいよ今生の命が尽きるその時に、これまでの生き様が洗いざらい見えてきて、その人がどれほどの人であったかがわかるということです。
私たちは日々、様々な喜びや悲しみ、時には怒りや悔しさを感じながらそれぞれ生活をしていますが、その人生が賎しくなるのも、逆に尊くなるのも、その人の行為、生き方によるのであり、いよいよ命が尽きるときに、それはあからさまになるのでしょう。
仏さまのお慈悲の光に照らされ、心豊かな仏道を歩まれた良寛さんは、その繕いようのない人の有様を、晩秋の落ち葉に見られたのでありましょう。
裏を見せ 表を見せて 散る紅葉
暮れゆく秋に、少し仕事の手を休めて、落ち葉に目を向けて、その姿を味わうのもいいものです。
10月1日~裏を見せ、表を見せて…。 | 2012年10月01日【177】
9月16日~子どもに物事を言うほどに…。
九月も半ば、朝夕はめっきり涼しくなりました。
さて先日、ある本を見ておりましたら、教育家の矢野寿男さんに寄せられた中学生の詩が紹介されていました。
自分の親に中学生が当てた切ない訴えです。
「成績がよくて健康でやさしくて 素直になれと父は欲ばり」
中学二年生の女の子です。「勉強して成績がよくなくてはダメ、好き嫌いをせず食べて健康でなくてはダメ、周囲の人にはやさしく、人間素直が一番」。この子のお父さんは、事あるごとに彼女にそう言っているのでしょう。そんな自分の父親を彼女は「欲ばり」と言っています。
「オレの夢必ずおまえが果たせよ 重い期待で背も伸びずに」
中学二年生の男の子からです。「お父さんの果たせなかった夢をお前が絶対に果たすんだぞ、頼んだぞ」。そう父親からしょっちゅう言われているのでしょう。重ねるように覆い被さる無理な期待で、背も伸びやしないと訴えています。
「うちの子はまるでダメだと大声で 客間で笑う父を許さず」
お客さんを前にして、きっと謙遜して父親は言ったのでしょう。しかし、子どもはしっかりと聞いていました。普段は頑張れ頑張れ、期待してるぞ、夢を持て、人には優しく素直に…などと言いながら、人前ではうちの子はダメと笑いながら言うのか…。やってられない。中学一年生の叫び声が聞こえてきます。
私はこの三つの詩を読んで、父親としての自分を反省させられました。
常々一方的な期待を寄せる親でもありました。またわが子に期待するがあまりに、つい欲ばりな親にもなっていました。人前で安易にわが子を軽んじる傾向もありました。
自分では知らず知らずのうちに、心のどこかに、苦労して育ててやってる、だから親の思い通りに、言う通りにという、おごりがあるのかもしれません。
子どもに物事を言うほどに、親としての自らを省みる必要があるようです。
9月16日~子どもに物事を言うほどに…。 | 2012年09月16日【176】