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12月1日~大人はやがて何になる?

 枯れ葉と共に吹く風はとても冷たく、いよいよ冬将軍の到来です。

 さて、今月のお寺の掲示板にはこのような法語を紹介しています。

 子どもは、やがて大人になる。

 大人は、いったい何になるのですか?

 小学生から大人への質問で、以前、親戚のお寺の掲示板にあったものをお借りしました。

 実際に、この質問を小学生から投げかけられたなら、あなたならどのようにお答えになるでしょうか。

 一句目が、子どもはやがて大人に…ですから、答えは一言がふさわしいでしょう。

 仮に質問を受けた大人が三十代・四十代であれば、「やがてはおじいさん、おばあさんに」と何とか答えられますが、質問を受けた大人が六十代・七十代、それ以上だった場合はもうその先がありません。どうしましょう。

 その先は当然わかっています。やがては死人でしょうか、それともお骨になるのでしょうか。いや、この問いはそのような短絡的な答えを求めているのではないように感じます。

 もし、あなたが仏教徒であるならば、ご家庭にお仏壇があり毎日お参りをされているのであれば、ぜひとも「大人は、やがて仏様にならせていただくのですよ」と答えていただきたいと思います。仏教徒のやがては、死人でもなくお骨でもなく仏様になるのです。

 しかし、その仏様になるはずの自分自身の生活を少し振り返ってみましょう。本当に仏様になるような日暮をしているでしょうか。つい欲にかられ、愚痴、不平、不満、怒り、腹立ち、妬み、おごりの日暮をしているのではないでしょうか。

 そこが仏法聴聞の始まりです。私が仏様の道を歩むスタート地点です。

 あなたは、やがて何になるのですか?この小学生からの問いにしっかりと向き合って生活して参りましょう。

12月1日~大人はやがて何になる?2012年12月01日【181】

11月16日~“アホ”の自覚を…。

 季節はいよいよ晩秋、京都の山々は紅く染まっています。

 さて先般、朝日新聞の天声人語に、私たちの世界には、「ジェボンズの逆説」というものがあると書かれていました。

 イギリスの経済学者ジェボンズが唱えたもので、技術の進歩によって資源の利用の効率がよくなったのにもかかわらず、資源の消費量は減らずに、むしろ増加してしまうという逆説のことです。

 つまり、健康のためにニコチンの低いたばこに変えたのにもかかわらず、つい吸い過ぎてかえって量が増えてしまった。ダイエットのために、低カロリーの食事で過ごしていたのに、安心してもうちょっとだけと、つい食べ過ぎてかえって太ってしまった。などなど、自分の周囲でもこのようなことはよくあることです。

 新聞には、ケータイが発達したのに、逆に運転中のケータイによって事故が多発する。
自動操縦などの技術を駆使した旅客機でも、人為的なミスで事故が起きてしまうことなども紹介されていました。

 世の中のあらゆるものが便利、簡単になって、私たちの生活はより豊かになったはずなのに、実はそうならずに、かえって新たな悩みや苦しみが増えていってしまう。なぜでしょうか。

 仏教的に言えば、人は皆「凡夫」であるということでしょう。

 作家の阿満利麿さんは、「凡夫」とは、自分の欲に縛られて、しなくてもよいことまでしてしまう愚かさ。賢く振る舞っていても、どこか抜けている生き方。「わかっちやいるけどやめられない」という意思の弱さ。煩悩から離れられない存在。関西風に言えば、どうしようもない「アホ」ということだと言われます。

 「アホ」と言われれば人間腹が立ちますが、自らの日常を冷静に省みれば、否定できないことが多々あるのではないでしょうか。

 親鸞様は、自分自身が凡夫であるという自覚が大切ですと諭されます。平たく言えばアホの自覚です。なかなかハイと頷けませんが、それこそがアホの実態なのです。

11月16日~“アホ”の自覚を…。2012年11月29日【180】

11月1日~一つ一つの行為の中に…。

 秋風に枯れ葉が境内を舞っています。

 さて、先日テレビで、タイのお坊さん方が肥満と病気で大変な思いをしておられるというニュースを見ました。

 タイのお坊さんには、修行の一つとして托鉢がありますが、時代と共に、物が豊かになって、町の人たちからのお供え物の内容も次第に栄養価の高いものが多くなり、それを食べるお坊さん方が肥満や糖尿病で苦しんでおられるというのです。

 少し聞いただけでは吹き出しそうになるお話ですが、実は大変なお話なのです。

 町の人々は、托鉢にくるお坊さんに差し出す食べ物は、亡くなった先祖に対するご供養であり、したがってご先祖が喜ぶように少しでもおいしい食べ物をと、できる限りのよい食べ物を差し出します。

 一方、人々から信頼の厚いお坊さんが、托鉢で集められた食べ物を食べることは、ご先祖が食べていることに等しいと考えられているので、お坊さんはその人々の願いを受けて、それらを一生懸命食べることが修行なのです。結果、お坊さんの肥満がどんどん進むわけです。

 また、お坊さん方をさらに苦しめるのは、自由な運動やダイエットが許されていないことです。

 タイのお坊さんは、俗界と縁を絶った出家者です。彼らが住む清浄なお寺は、町の人々の布施によって支えられており、お坊さんの修行の内容も厳しく定められており、休憩時間にジョギングをしたり自由に体操をすることさえもできないのです。

 私は、テレビを見ながらタイのお坊さん方の仏道を歩む真剣さに頭が下がる思いがしました。そして、この純粋でひたむきな姿勢が町の人々の信頼にもつながっているのでしょう。

 合理化と人間の都合によって制度を変えることは安きことかもしれませんが、一つ一つの行為に大切な意味と願いがあることも忘れてはならないことです。

11月1日~一つ一つの行為の中に…。2012年10月28日【179】

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