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3月16日~昭和の教えが令和のグラウンドで…

 一雨ごとに春めいてきます。

 さて、野球の世界一を決める『ワールド・ベースボール・クラシック2023』で、日本チーム侍ジャパンが大活躍。先般、準々決勝戦でイタリアを破り、フロリダへと出発しました。

 大谷選手やダルビッシュ選手をはじめそうそうたるメンバーがその実力を遺憾なく発揮していますが、特に注目を浴びているのが、この度、初の日系人選手として正式に日本代表に選出されたラーズ・ヌートバー選手です。

 アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、榎田 達治(えのきだ たつじ)の日本名を持ち、「たっちゃん」の愛称で親しまれています。

 とても明るい性格の持ち主で、チームではムードメーカー的な役割で、他の選手が打撃で活躍した際には、ペッパーミルを回して祝い、それがチーム全体に広がっていました。

 攻撃でも守備でも一生懸命な姿は、テレビ観戦をしていた私たちを魅了しましたが、私が素晴らしいなと思ったのは、応援に来ている観客席に向かって帽子を取り頭を幾度となく下げて感謝の気持ちを表す姿でした。

 また、試合前に、各選手が幼い子どもにエスコートされて登場するときには、彼だけが子どもの背に合わせて腰を小さく曲げて寄り添い、子どもたちをやさしく導く彼の姿でした。

 多くの人が、彼に惹かれるのは、今の日本人が忘れかけている礼節と、誠実さと、感謝の心を彼の姿に見たからではないかと思いました。

 「しつけには厳しかったですよ。子どもの頃、三つのおきてがある。一つ、時間を守る。二つ、友達とは仲良くする。三つ、あいさつはちゃんとする。私、昭和の人間なんですよ。アメリカには昭和の時代に来たから。平成、令和は知らないの」と、お母さんである久美子さんはおっしゃっているそうです。

 その昭和の教えがヌートバー選手を通して、令和のグラウンドで輝いています。

3月16日~昭和の教えが令和のグラウンドで…2023年03月18日【424】

3月1日~それぞれの語らいの場が…

 木の芽冷えの日々が続きます。

 さて、毎日朝夕、お寺の納骨堂の玄関扉の開け閉めをしていますと、ほぼ毎日お参りをされる方が数名おられます。

 最近、ご主人を亡くされた女性、奥様を亡くされた男性、数年前にご子息を亡くされてそれからずっと来られているご両親、さまざまです。

 特に、ご子息を亡くされたお父様は、お骨の納められた納骨壇にお参りされた後、必ず本堂の阿弥陀さまの方に向かってお参りをされてお帰りになります。

 きっと、納骨壇の前では、それぞれの語らいの場があるのだと思います。

 お念仏を日々いただく私たちは、今生のいのちが尽きる時、必ず阿弥陀如来のお浄土に往き生まれる身とならせていただくことは、常々お聞かせいただいてはいますが、やはり生身の人間ですので、これまで共に暮らし、共に笑い共に泣き共に人生の山坂を乗り越えてきた親しき方とのお別れはきびしく辛いものです。

 その親しき方とのよすがであるご遺骨が納まる所へ足が向き、手を合わすと共に語りかけて生前を偲ぶことは当然のことであります。

 詩人のサトウハチローさんがこのような詩を残しておられます。

 母がいる 姉がいる 妹がいる 弟がいる
 雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地

 でっかい欅 大きい樫の木 カラスをみる ムクドリをみる 風をみる
 雑司ヶ谷の墓地

 弟と泣き 妹と笑い 姉と歌い 母を呼ぶ
 雑司ヶ谷の墓地

 三月は春彼岸のご法要をお勤めします。それぞれお浄土に先立たれた方を偲ぶと共に、お念仏のみ教えをお聴聞いたしましょう。

3月1日~それぞれの語らいの場が…2023年03月01日【423】

2月16日~できる人ができる支援を…

 うららかな日和に春の動きを感じます。

 さて、二月六日にトルコとシリアで発生した大地震では、亡くなった方が四万三千人以上と伝えられ、その数はまだ増えつつあります。

 またこの地震で被災した子どもたちは七百万人以上と言われ、親兄弟や家を失った子どもたちも多く、路上や学校、バスターミナルや橋の下で寝泊まりしていて、気温が氷点下まで下がり、厳しい天候にさらされていると伝えられます。喫緊の支援が求められています。

 被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 宗教学者のひろさちやさんが、昔インドを旅して出会った出来事を本に書いておられました。

 ひろさんが道に迷って、インド人に道をたずねたそうです。

 すると、その目的地はとてもわかりにくいところだったようで、そのインド人は親切に目的地まで連れて行ってくれたそうです。

 約四十分ほどかかったそうで、インド人にとっては往復で九十分かかりました。 ひろさんはその親切がとても嬉しくて、少しばかりのお金をお礼として渡そうとしましたが、彼は受け取りません。

 そして、彼はこう言ったそうです。

 「私はあなたに親切にしました。この次、あなたは誰かに親切にしてあげてほしい。それが私に対するお礼となります」

 ひろさんは、その言葉を聞いて涙が出るほど嬉しかったと述べておられ、これが施しの心であると書いておられます。

 日本も阪神淡路大震災や東日本大震災で世界中から、たくさんの親切をいただきました。鹿児島も平成五年の八・六水害ではたくさんの親切をいただきました。

 できる人が、できる支援を、トルコやシリアの方々へさせていただきましょう。

2月16日~できる人ができる支援を…2023年02月18日【422】

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