こころの電話

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6月1日~知らない間に積もり積もって…

 蜜月とはハネムーンの訳語。本来新婚旅行のことではなく、新婚間もない時期のことを言います。

 さて、お寺では毎朝、本堂の掃除が日課ですが、紙切れや糸くずなど目に見える大きなゴミはすぐわかるのですが、塵やほこりといった種類のものは目には見えず、毎日こまめに掃除をしていると、あるのか無いのかはっきりとはわかりません。

 しかし、普段なかなか掃除のできないところや本堂の奥の押し入れ、そして普段光のなかなか当たらないところに、懐中電灯を当ててみるとその塵やほこりがはっきりとわかります。

 毎日少しずつ少しずつ溜まっていって、そこに光を当てるとその汚れがはっきりと目に見えてわかるのでありましょう。

 これは本堂や家のことだけでなく、私たち人間の心や行いについても同じようなことが言えるかもしれません。

 私たちは、自分のことは自分が一番わかっているように思いがちです。確かに、相手を怒らせたり悲しませたり、傷つけたりするような大きな言動や過ちは、自分でもはっきりと認識できますし、反省もできるかもしれません。

 しかし逆に、相手にそれを我慢してもらったり、許してもらったりするような言動や行動には、自分自身では気づきにくいものです。

 つまり大きなゴミは目に見えて取り除きやすいですが、目に見えないほどの塵やほこりなどは、自分の知らない間にたくさん溜まっているのかもしれません。

 薄暗い部屋や押し入れなどに、光が差し込むと、知らない間に積もり積もった塵やほこりがはっきりと見えるように、私たちの心の中や行いも、仏さまの光によって明らかになるのです。そして、知らない間に、たくさんの人々に許されながら日々、生かされていることに気づかされるのです。

 仏さまのみ教えは光そのものです。私の心を洗う真実の光であります。

6月1日~知らない間に積もり積もって…2023年06月03日【429】

5月16日~忘れてはならない尊い姿

 朝夕と日中の寒暖差がきびしい毎日です。

 さて先日、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』という番組を見ていましたら、鶴瓶さんが、いつものように街角で偶然出会った人の家に行く映像が流れていました。 訪問した家族に招かれた鶴瓶さんが、玄関を上がり真っ先に行ったのがお仏壇の前でした。

 鶴瓶さんはお仏壇の前で静かに手を合わせ、それを後ろで見ていたそのお宅の住人は、「ありがとうございました」とお礼を言われました。

 その映像を見ながら、昔は日本のどこにもこのような風景があったことを懐かしく思いました。

 そもそもお仏壇は、ご本尊である仏さまを安置した壇ですからお仏壇といいます。そして昔ながらの浄土真宗の金仏壇の形は、お寺で阿弥陀如来が安置されている内陣を模して美しい彫刻が施されています。

 つまり、お仏壇は親しき方々が往生された阿弥陀如来のお浄土の世界を形に表したものであり、わが家のお寺というべきところであります。

 お寺では早朝、仏さまに朝のご挨拶と、今日も仏さまの願いにかなうような一日を過ごしますとお参りをします。夕べには、今日も多くの方々といのちに支えられながら一日を過ごさせていただきましたと、感謝のお参りをします。

 他所様から頂き物をしたらまずお仏壇にお供えをして、感謝のお参りをして、仏さまからのお下がりとしていただきます。

 先祖の命日には、家族皆で感謝のお勤めをして、一人ひとりが自らのいのちを深く見つめます。

 お仏壇は、私たちの日常生活のあらゆる場面で、心のより所となるものであり、その家の中心となるところであります。

 きっと鶴瓶さんはそのことをおわかりだったからこそ、真っ先にお仏壇の前に行きお参りをされたのでありましょう。

 私たち日本人が忘れてはならない尊い姿でありました。

5月16日~忘れてはならない尊い姿2023年05月19日【428】

5月1日~敬う教えを持つ大切さ

 薫る風に、元気をいただく季節です。

 さて、先月三十日、お寺で仏前結婚式がありました。

 新郎はアメリカ人のDさん、新婦は日本人のBさんの国際結婚です。引き続き披露宴でもご挨拶をさせていただきましたが、仏教にまつわるこのようなお話をしました。  

 さて、この結婚披露宴のことを昔から「華燭の典」と申しますが、これは仏教を開かれたお釈迦さまがご在世の当時、インドであったある出来事に由来するそうです。

 インドのある街で、花を売って歩く少女と、燭台に使う油を売って歩く少年がいました。二人ともに大変貧しい家庭の子供だったそうです。

感心なことにこの少年は、一日の仕事が終わると、お釈迦さまの前に行き、お灯明をささげてお参りをして帰ったそうです。また少女も毎日、お釈迦さまの前に行って、お花を一輪お供えして、手を合わせて帰って行ったそうです。

 やがて毎日のように街で行き交い、自然に顔見知りになった若い二人の間には、ほのかな愛の心が芽生えました。

この様子を常々見ていたお釈迦さまは、この二人こそ似合いの、理想の夫婦になると思い、お釈迦さま自らの中立ちで、二人の縁結びを行ったと言われます。そしてこの二人は、互いに協力して幸福な家庭を築き、生涯、大変幸せに暮らすことができたと伝えられます。

ここから、少女がお供えした華と、少年がお供えした蝋燭の燭・ともしびという字をとって「華燭」という言葉が生まれ、結婚式のことを、最高に飾られた祝賀の儀式という意味で、華燭の典と呼ぶようになったと言われます。

お釈迦さまは、この二人の尊きご縁を通して、まことの幸せは、お金や物質的なものでは決して得られないことを示されました。そして、この二人の花を供え、灯火を供える行為を通して、敬う心と教えを持つことの大切さをおすすめになりました。

 お二人が、仏さまの教えと願いにかなった、喜び多い、心豊かな人生を送られますよう念じます。

5月1日~敬う教えを持つ大切さ2023年05月03日【427】

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