こころの電話

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6月16日~目も、鼻も、口も見えて

 梅雨明かりの空を見上げてほっとする日々です。

 さて、新型コロナウイルス感染症も徐々に収束し、マスクをされない方も見受けるようになりました。

 感染症にはまだ気をつけなければなりませんが、顔全体の表情が見えてお話ができることはよいことです。

 このようなお話があります。ある日のこと、顔の正面についている目と鼻と口がおしゃべりを始めました。

 「鼻さんはいいな、いつもおいしい食べ物の匂いがわかるから。私はいつも見てるだけだもん」と目が言いました。

 「何言ってんの。私なんかいつも匂いだけ。それに比べて口さんはご飯やお菓子を食べることができていいな」と鼻は言いました。

 「いやいや、私なんか食べ物をいつも放り込まれるだけ。味がわかるのは舌なの。私じゃないの」と口が言いました。

 目も鼻も口も、互いに相手をうらやましがって、最後は顔の中でケンカを始めてしまったそうです。

 このお話は、お互いにうらやましがって、文句や愚痴を言うことは慎みましょう。みんな一つ一つそれぞれが大切で、大事な役割があるのですよということを、幼い子どもたちにわかってもらうためのたとえ話ですが、これまでの三年間のマスク生活で目も鼻も口もそれぞれに、顔全体がお互いに見える大切さをあらためて気づかされたのではないでしょうか。

 「目は口ほどにものを言う」とは言われますが、マスクをして目だけ出たお顔ではその人の表情や気持ちはなかなか伝わりません。

 目も鼻も口もすべてが見えて、喜怒哀楽の表情や相手の気持ちも伝わるものであり、特に子どもに対してはお母さんお父さんのお顔の表情はとても大切です。

 感染症には気をつけつつ、大切にしたい事柄です。

6月16日~目も、鼻も、口も見えて2023年06月16日【430】

6月1日~知らない間に積もり積もって…

 蜜月とはハネムーンの訳語。本来新婚旅行のことではなく、新婚間もない時期のことを言います。

 さて、お寺では毎朝、本堂の掃除が日課ですが、紙切れや糸くずなど目に見える大きなゴミはすぐわかるのですが、塵やほこりといった種類のものは目には見えず、毎日こまめに掃除をしていると、あるのか無いのかはっきりとはわかりません。

 しかし、普段なかなか掃除のできないところや本堂の奥の押し入れ、そして普段光のなかなか当たらないところに、懐中電灯を当ててみるとその塵やほこりがはっきりとわかります。

 毎日少しずつ少しずつ溜まっていって、そこに光を当てるとその汚れがはっきりと目に見えてわかるのでありましょう。

 これは本堂や家のことだけでなく、私たち人間の心や行いについても同じようなことが言えるかもしれません。

 私たちは、自分のことは自分が一番わかっているように思いがちです。確かに、相手を怒らせたり悲しませたり、傷つけたりするような大きな言動や過ちは、自分でもはっきりと認識できますし、反省もできるかもしれません。

 しかし逆に、相手にそれを我慢してもらったり、許してもらったりするような言動や行動には、自分自身では気づきにくいものです。

 つまり大きなゴミは目に見えて取り除きやすいですが、目に見えないほどの塵やほこりなどは、自分の知らない間にたくさん溜まっているのかもしれません。

 薄暗い部屋や押し入れなどに、光が差し込むと、知らない間に積もり積もった塵やほこりがはっきりと見えるように、私たちの心の中や行いも、仏さまの光によって明らかになるのです。そして、知らない間に、たくさんの人々に許されながら日々、生かされていることに気づかされるのです。

 仏さまのみ教えは光そのものです。私の心を洗う真実の光であります。

6月1日~知らない間に積もり積もって…2023年06月03日【429】

5月16日~忘れてはならない尊い姿

 朝夕と日中の寒暖差がきびしい毎日です。

 さて先日、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』という番組を見ていましたら、鶴瓶さんが、いつものように街角で偶然出会った人の家に行く映像が流れていました。 訪問した家族に招かれた鶴瓶さんが、玄関を上がり真っ先に行ったのがお仏壇の前でした。

 鶴瓶さんはお仏壇の前で静かに手を合わせ、それを後ろで見ていたそのお宅の住人は、「ありがとうございました」とお礼を言われました。

 その映像を見ながら、昔は日本のどこにもこのような風景があったことを懐かしく思いました。

 そもそもお仏壇は、ご本尊である仏さまを安置した壇ですからお仏壇といいます。そして昔ながらの浄土真宗の金仏壇の形は、お寺で阿弥陀如来が安置されている内陣を模して美しい彫刻が施されています。

 つまり、お仏壇は親しき方々が往生された阿弥陀如来のお浄土の世界を形に表したものであり、わが家のお寺というべきところであります。

 お寺では早朝、仏さまに朝のご挨拶と、今日も仏さまの願いにかなうような一日を過ごしますとお参りをします。夕べには、今日も多くの方々といのちに支えられながら一日を過ごさせていただきましたと、感謝のお参りをします。

 他所様から頂き物をしたらまずお仏壇にお供えをして、感謝のお参りをして、仏さまからのお下がりとしていただきます。

 先祖の命日には、家族皆で感謝のお勤めをして、一人ひとりが自らのいのちを深く見つめます。

 お仏壇は、私たちの日常生活のあらゆる場面で、心のより所となるものであり、その家の中心となるところであります。

 きっと鶴瓶さんはそのことをおわかりだったからこそ、真っ先にお仏壇の前に行きお参りをされたのでありましょう。

 私たち日本人が忘れてはならない尊い姿でありました。

5月16日~忘れてはならない尊い姿2023年05月19日【428】

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