こころの電話

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1月15日~たったひとつの命だから…

 一月もはや半ば、わりと温暖な日が続いています。

 さて、昨年末、『たったひとつの命だから』という本(地湧社)に出会いました。福岡県のラジオで紹介されたのがきっかけで、「たったひとつの命だから」という言葉に、あなたなら何という言葉を続けますかという問いに、リスナーから集められたお便りをまとめたものです。

 その中のひとつを紹介します。

 ラジオネーム「フリージア」さんは、四歳の時、交通事故でお父さんを亡くしました。四年後、彼女のお母さんは再婚しました。弟は新しい父親にすぐになつきましたが彼女はどうしてもなつくことができず、「私の父は亡くなった父一人だ」と、突っ張りながら十五年が過ぎました。

 やがて「フリージア」さんにも彼氏ができて求婚されました。そして彼は彼女の両親に許しを求めに来ました。今の父は彼に言います。「この子が八歳の時から私はこの子の父親になりました。この子は私の親友の大切な宝物でした。この子が不幸になったら、私はこの子の実父に会わせる顔がありません。必ず必ずこの子を幸せにしてくれますね」。このとき、「フリージア」さんは、今の父が実父と高校生からの親友だったことをはじめて知らされます。

 次の朝、今の父は、彼女といっしょにお仏壇の前に座って実父に呼びかけました。

「おい、この子を嫁に出すぞ。いいか」。そう問いかけて泣きました。その時、「フリージア」さんは、今の父が、彼女を本当の子どもとして、かけがえのないたったひとつの命を守ってきてくれたことを知ります。

 お父さん、長い間お世話になりました。いっぱい幸せになって(中略)、たったひとつの命を、大切にしてください。母をよろしくお願いします。(二人の父をもつフリージア)

 本の中のお便りはこう結んであります。

 この本には、たくさんの方々のいのちのふれあいや結びつきが紹介されています。
 「たったひとつの命だから」。この言葉にあなたなら何と続けるでしょうか。

1月15日~たったひとつの命だから…2008年01月15日【64】

2008年1月1日~平和と繁栄の七つの教え

 明けましておめでとうございます。今年も、「覚照寺・心の電話」をよろしくお願い申し上げます。

 新年は、お釈迦さまのお話からです。
 今から二五〇〇年前、よわい八十になるお釈迦さまがインドの霊鷲山におられたとき、マガダ国の大臣・兎舎(ウシャ)が、お釈迦さまのご様子を伺いに来ました。そして、ウシャは、マガダ国の王の伝言を伝えました。

 それは、「隣国、ヴァッジー国の人々は、頑強で私に屈服しないので、私はヴァッジー国を征伐しようと思う。お釈迦さまのご意見をお聞かせ下さい」というものでした。

 お釈迦さまは、それについて答えようとはせず、近くにいた弟子のアーナンダに七つの質問をされました。

 一つに、ヴァッジー国の人は、よく集会を開いてよき話し合いをしているか。

 二つに、協力し合い、お互いに為すべき勤めを為しているか。

 三つに、国の規則を守り、礼儀正しく生活をしているか。

 四つに、お年寄りを敬い、女性・子どもを大切にしているか。

 五つに、祖先を大切にし敬っているか。

 六つに、家庭内は正しく汚れなく、たわむれはするが、欲におぼれず、つつましい生活をしているか。

 七つに,常に学ぶことを忘れず、悪から身を守り、怠けてはいないか。

 ナーナンダは、「お釈迦さま、ヴァッジー国の人々は、その七つのすべてについて、若者と年寄りが常に和合して勤め励んでおります」と、答えました。

 するとお釈迦さまは、「それはすばらしいことだ。年寄りと若者が和合してその七つのことを守り、正しく勤めているのであれば、そこには繁栄があり、衰え滅びることは決してないであろう」とおっしゃいました。

 そして、そのお釈迦さまの言葉を、大臣から伝え聞いたマガダ国の王は、ヴァッジー国を征服することを断念しました。

 お釈迦さまは、争いの原因を説き、それを乗り越える教えを説かれたのです。 まさにこの七つの教えの実践に、家庭に、職場に、社会に、平和と繁栄が開かれるのです。

2008年1月1日~平和と繁栄の七つの教え2007年12月29日【63】

12月15日~ お浄土へのラブレター

 早いもので、二〇〇七年もあと少しで暮れようとしています。

 さて、年末になって、素敵なラブレターをいただきました。と言っても、残念ながら私にではありません。

 差出人はSさん。もともと覚照寺のご門徒で、鹿児島から大阪へ嫁がれ、偶然にも、私が若いとき大阪の津村別院でご指導いただいたE先生とご縁の深い方です。これよりラブレターの一部です。

 「E先生との出会いは、私が一歳一ヵ月の長女を亡くしてお寺にお参りにするようになったとき、昭和四十四・五年頃、お寺の法要に布教使としてこられ、声をかけられてお話しするようになりました。
 昭和六十年二月、夫がクモ膜下出血で倒れて、その年の暮れに別院にお参りしたとき、『頑張れ、この手のぬくもりを忘れるな、仏さまが見ているぞ』と、E先生が言ってくださいました。その時夫四十八歳、私が四十五歳、子どもは高二と中一、おろおろする私の姿を見てカツを入れられた思いでした」

 それより、Sさんは二十一年もの間、ご主人の介護やお仕事、子育てと、大変厳しい人生過ごされ、現在では二人のお子様も立派に成長され、ご主人は療養の果てに数年前にお浄土に参られました。また、E先生は高齢になり療養中だそうです。
 Sさんは、手紙の中で、その人生をふり返ります。

 「夫を介護して辛いときもありました。これも人生、夫ですもの妻ですもの当たり前ですよね。夫は亡くなる前日、『苦労させたな、心配かけたな、迷惑かけたな、有り難う』とハッキリと言いました。これが最後と知らない私は、『今頃何言ってるの』と言いました。この二.三時間後に意識がなくなりました。本当に来世というのがあるなら、私は夫を捜して、再度嫁にしてもらいたいと思います」

 私は、この素敵なラブレターを、すぐにお寺の本堂の仏さまの前にお供えしました。きっと、お浄土のご主人も喜んでおられることでしょう。

 私も、人と人のご縁の尊さ、お母さんの力強さ、支え合う夫婦の尊いお姿を、このラブレターに学ばせていただきました。

 来年も覚照寺「心の電話」をよろしくお願いいたします。

12月15日~ お浄土へのラブレター2007年12月17日【62】

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