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3月1日~あらゆる邪悪を払う盾が…。
二月が逃げるように過ぎ、少しずつ春が近づいているような気配です。
さて先月、千葉県・野島崎沖で起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故は痛ましいものでした。行方不明の漁師の親子はいまだ見つかっておらず、本当に残念な思いです。
また、事故直後からの海上自衛隊や防衛省の確認や報告も後手後手で、被害者や重大事故の適切な対応、また国防という観点よりも、関係者互いの身の保全や古い官僚体質の方が際だって、憤りと共に歯がゆい思いが致します。
一方で、この事件は、火急な時の適切な確認と対応、被害を受けられた人を心から思う気持ちなど、私たちの生活のレベルにおいても、今一度考えさせられることが多いのですが、もっと日常で言えば、人間と機械の関係もあります。
この度事故を起こしたイージス艦は、通称「船体の盾」と呼ばれ、遠距離から同時に多数飛来する航空機や対艦ミサイルから艦隊を守る高性能のレーダーを搭載した戦艦です。
その世界でも屈指の戦艦であっても、乗組員が定められた適切な使い方をしなければ、役に立たないどころか、何の関係のない民間人をあやめてしまう凶器となってしまいます。
それは決して自衛隊だけではなく、さまざまな電化製品、パソコンや自動車。あらゆる業務機器に囲まれて生活をする私たちも例外ではありませんし、エネルギー消費という観点からも、その一つ一つの利用の仕方があらためて問われてきます。
「イージス」とは、ギリシャ神話に登場する最高神のゼウスが、娘のアテナに与えた、あらゆる邪悪を払う盾の名称だと聞きます。きっと、日本の民を外敵から守る意味でつけられたのでしょうが、この度はその盾が、民を害する、邪悪な鋼鉄の固まりと化してしまいました。
遠くでの出来事と看過するのでなく、自らの生活に深くかかわることとして、受け止めたいものです。
3月1日~あらゆる邪悪を払う盾が…。 | 2008年03月01日【67】
2月15日~私が死んだらどうなるのか…。
冷たい北風が衣の袖から入り込んできます。
さて、一月のテレホン法話で、「たったひとつの命だから」という本をご紹介したら、メールや電話をいただきました。今回も、その本の中からのお話です。 たつやくんという男の子の、お母さんからのお便りです。
六年前、五年生だった息子のたつやは、大けがをして入院しました。ある日、同じ年の女の子が隣の部屋に入院してきて、二人はすぐに仲良しになりました。
その女の子は、病気は貧血と聞いていましたが、点滴や脳波の検査を怖がる息子を、「がまんせんね、すぐよくなるけん」と言いながら、いつも励ましてくれました。そして、本を読んでくれたり、描いた絵をプレゼントしてくれたり、本当に賢い女の子でした。
ある日のこと、その女の子は無菌室に移されました。その時初めて彼女が違う病気であることを知りました。息子は、毎日、ガラス越しに面会に行きました。女の子の抗がん剤治療が始まりましたが、それでも女の子は、「すぐよくなるから、注射と退屈な病院生活をがまんしようね」と、息子を励ましてくれました。
息子の退院の日、同じ日に、女の子の様態が急変し、そして亡くなりました。とても、息子にそのことを告げることはできませんでした。
しばらくしてから、女の子のお母さんから手紙をもらいました。女の子から息子にあてた手紙でした。
「たつや君、友だちになってくれて有り難う。一緒に退院しようねって、約束したけど、破ってごめんね。きびしいことばかり言ってごめんね。私が死んだら私はどうなるのか、こわいです。お父さんとお母さんがいないところへ行きたくない。でもね、えんぴつ持てなくなってきた。病気がひどくなってきた。死ぬのが恐いです。さようなら、さようなら」
このお母さんは、この手紙をたつやくんにも、誰にも見せずに大切にしまってきました。
明るいところしか見せなかった彼女は、本当は泣いていたのです。どんな思いでこの手紙を書いたのか…、いつ書いたのか…。
この手紙は、私に「後生の一大事」を、問いかけています。
2月15日~私が死んだらどうなるのか…。 | 2008年02月17日【66】
2月1日~言葉はカミソリか、それとも…
インフルエンザがはやりつつあります。予防に心がけましょう。
さて、私たちは毎日、言葉を使いながら生活をしていますが、先般、それについて気付かされたことがありました。
一月の末、次女が、目の内斜視の手術をしました。中学進学を前に思い切って治したいという本人の意志によるもので、全身麻酔を避けて、恐怖感が伴う目の部分のみの局部麻酔の手術を希望しました。
一時間ほどの手術も終わり、目に包帯を当てて無事病室に帰ってきたのですが、その後が大変でした。麻酔が次第に切れるにつれ、手術をした目と頭に激痛が走ります。針でつつかれるような痛みが続き、わりと我慢強い娘も、「痛い、痛い」とおいおい泣きながらベットの上でのたうち回ります。痛み止めを飲ませますが、いっこうに効きません。
私も妻も初めてのことで、ただ手を握り、汗で濡れた頭に手を当てて励ますだけです。あまりにも痛みが続くので、二回ほどナース室に行き、どうにか痛みを和らげる方法が他にないか聞きました。
すると、看護婦さんが二回目に来たとき、「痛みは明日ひく人もいれば、一週間続く人もあり人それぞれ。私にはわかりません。こらえるしかないですね」と、いともあっさりおっしゃいます。続いて、「こんな看護婦が言うことよりも、先生を呼びましょうか。そっちほうがあなたたちも納得するでしょう」と、言われました。
私たちは親子は、「こんな看護婦」ではなく、「身近にいてくださる看護婦さん」だからお聞きしたのです。また、私たちにとって初めての経験なので、様々な患者さんへの対応をご存じだと思うからお聞きしたのです。私は、看護婦さんにそう問いかけたかったのですが、苦しみもがく娘が横にいるのでそれどころではありません。絶対弱者の患者の立場がそこにありました。
私たちが日々使う言葉は、人の心をえぐるカミソリにもなれば、逆に苦しみ悩む人を救うこともあります。
常に相手の立場に立って、やさしくあたたかな言葉を使うことの大切さを学ぶことでした。
2月1日~言葉はカミソリか、それとも… | 2008年02月01日【65】