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12月1日~報い求めない無償のはたらき

 新型インフルエンザが学校や地域で猛威をふるっています。マスクやうがい、手洗い等、予防には十分気をつけたいものです。

 さて、大阪のご住職からいただいたお手紙の中に、「報いを求めない無償のはたらきを徳という。土徳に生かされ、人徳に育まれて、ひとは人となる」という詩が記されていました。

 人のいのちというものは、報いや代償を求めることのない無償のはたらきによって育てられ、今の今成り立っているということです。

 一番身近なところでは、親子の関係です。特に母親が子どもを育てるのに報いを求めることがあるでしょうか。子どもにご飯を作ったり、身の回りの世話をするのに、何か代償を求める親がいるでしょうか。

 私たちが毎日口にする食事も同様です。多くの作物を育む田畑の土は、私たち人間に何か代償を求めることがあるでしょうか。その何の代償を求めることなく、人を育むはたらきを土徳と言います。

 北陸の地方には、初物はお寺にという風習があります。また、鹿児島においてもお寺にお参りされるご門徒は、お米をお供えに持ってこられます。これこそが土徳であり、人徳ということでありましょう。

 昨今の私たちの生活はとても豊かになりました。便利・簡単・スピードが謳歌され、目には見えない徳のはたらき、土徳、人徳のすばらしさ豊かさを忘れ去り、我欲に振り回されているのが現代人の姿のように思われます。

 報いを求めない大いなるはたらきに目覚めることをお諭しくださったのが、浄土真宗の開祖・親鸞聖人であります。ひとが本当の意味で人と成る道であります。

 今年も覚照寺の報恩講法要が、十二月十一日、十二日、十三日の三日間勤まります。報恩講法要は親鸞聖人のご法事で、今年は七四八回忌になります。ご門徒の皆様方からお供えされた餅米やお野菜で、おいしいお斎もご用意されます。
 どうぞ、お誘い合わせの上、お参りください。

12月1日~報い求めない無償のはたらき2009年12月01日【109】

11月16日~いのちの現実知らされて…

 先日、お仕事で揖宿の山川町に行きましたが、十一月というのにハイビスカスの花が咲き乱れていました。

 さて、私たちは、常日ごろより、いのちは避けられぬ、いのちは予測できぬ、ということをお聞かせいただきます。先般それをあらためて知らされる出来事がありました。

 坊守の父親が十月末に、この娑婆の縁がつきてお浄土に参りました。肺がんで、九月に手術は受けたものの進行が早く、享年七十五歳でありました。

 私と坊守は、仕事の合間を見つけては坊守の実家である大阪に飛び、病院にお世話に行きました。そして、義父がまだ話ができる間に、孫である私の子どもたちも連れて行きました。

 特に、小学四年になる長男は、七人いる孫の中唯一の男の子で、義父も大変かわいがっていましたし、息子も義父が大好きで、お見舞いに行っても、義父の車いすを押して散歩したり、ベットに二人並んで座って、楽しく会話をしていました。

 病状がいよいよ悪化し、私と坊守は再び大阪に駆けつけましたが、子どもたちは学校もあり、最後の時が今日か明日か明後日かわかりませんので、連れて行くことができませんでした。そして十月二十八日の明け方、いよいよ息が途絶え、お念仏とともにお浄土に参りました。

 二十八日の夕刻、私と坊守は、大阪から、鹿児島にいる息子に義父の死を知らせました。「大阪のおじいちゃんはね、頑張って頑張って、最後まで精いっぱい頑張ったけど、とうとうお浄土に参られたよ。おまえに有り難うと、言ってね」。

 息子は、「なんでや」と叫んで泣き崩れました。そして、「また元気になって、散歩しようと約束してたのに…」と、言いながら泣きました。

 いのちのこと、「なぜ、どうして」ということが必ずある。いのちのこと、「あんなに固い約束をしてたのに…」ということが必ずある。それがいのち現実なのですね。

 義父はすでに三七日を迎えますが、長男は毎夜、お仏壇の前で、お念仏を称えてお参りをする日々です。

11月16日~いのちの現実知らされて…2009年11月15日【108】

11月1日~美しい流星確かに見えた!

 境内で元気に遊ぶ子どもたちの声に、心が弾む思いです。

 さて、先月十月十九日から二十三日まで、夜空にオリオン座流星群が現れました。この流星群はハレー彗星が地球に接近したときに残すちりによるもので、特に二〇〇六年以降、出現の機会が増えているそうです。

 私も、小学生の息子にせがまれて、毎日夜十時から三十分ほど、近くの公園に出向いて夜空を眺めましたが、全部で十三個ほどのキラキラと輝く流れ星を目にしました。

 その流星について、目の不自由な女性からのメールが、十月二十三日のNHKラジオで紹介されました。

 「今年もラジオでオリオン座流星群が現れるということを知りました。弱視の私は、ああ今回もまた流星を見ることはできないのだなと、あきらめていました。しかし、違いました。今年は見ることができました。ラジオを聞いていると、全国のリスナーの方から、『きれいな流星を見ました』というたくさんの喜びや感動のお声を耳にして、私にも美しい流星が見えて、とてもうれしい気持ちになりました」

 おおよそこのような内容でした。私はこのお便りに心から感動しました。自分の目は不自由だけれども、多くの方々の喜びや感動の声を心で受け止めたとき、私にも確かにキラキラとした美しい流星が見えたとおっしゃるのです。

 何と純粋な心でしょうか。雲霧一つない美しく透き通った心でしょうか。

 と同時に、私自身、直接美しい流れ星を見ていながら、本当は見ていなかったのではないかと、恥ずかしく思えました。目が見えることを当たり前のように思い、その美しさや輝きを本当に見ようとしていなかったのではないか、心で受け止めようとしていなかったのではないか、そう内省することでした。

 私には、この女性のような透き通った心を持つことは難しいかもしれませんが、この美しい心の声を聞かせていただくことによって、また一つ、尊い学びをさせていただきました。

11月1日~美しい流星確かに見えた!2009年11月06日【107】

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