こころの電話

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1月16日~タイガーマスクに学ぶ。

この冬一番の寒波到来、朝、鐘をつく手も凍りそうです。

 さて、この年末年始の話題は、タイガーマスクの登場でしょうか。

 昨年十二月二十五日、マンガの主人公・伊達直人を名乗る人物から、群馬県の児童相談所へランドセルが送られたことを皮切りに、全国各地の児童施設に寄付行為が相次ぎ、一月十五日時点で確認された寄付の件数は約七〇〇件、現金や商品券だけでも二,四〇〇万円を超えたそうです。

 この運動について、世の識者は、「世の中に恩返しがしたいと思う世代が、直接的かつ謙虚に、まねしたくなる行為」、また「タイガーマスクを見て育った世代の人が、遊び感覚で気軽にできた行為」、「後からは比較的若い世代も加わって、インターネットを通じてお祭り感覚で、自分たちで善意のブームを広げようとした行為」と論じています。

 現在、虐待をはじめとする様々な家庭環境の不良によって、児童養護施設への入所が増加の傾向といわれる残念な状況の中で、今回のような善意の輪が広がることは喜ばしいことです。

 これらの報道を耳にするたびに、私自身も、社会に報謝させていただくことの大切さを学ぶことですが、同時にその難しさも感じます。

 このような寄付の行為を仏教では布施といいますが、まわりに自己の所有の物を与えて、そのものに対する執着心を取り除くための行とされ、他に与えることによって自分の執着の心が払われるところに意味があります。

 つまり、寄付をする側が、「自分より不幸な人や、また社会に対して良いことをしたんだ」というおごりの心を少しでも持ったり、また自己満足に陥っては、正しい布施にならないということです。

 自分自身の心の内を顧みるとき、その難しさを感じますが、逆にそこを見つめることが、この運動がブームや祭りではなく、一過性に終わらないようにするための大切な部分でもあるように感じます。

1月16日~タイガーマスクに学ぶ。2011年01月18日【136】

2011年1月1日~大切な三無主義を

 あけましておめでとうございます。二〇一一年・平成二十三年の年明けです。

 今年も「覚照寺・心の電話」をよろしくお願い致します。

覚照寺では元旦の朝、年が明けて最初の法要「修正会」を勤めました。寒さの中、ご門徒が家族連れでたくさんお参りされ、皆そろって「お正信偈」を元気にお勤めし、その後、ご酒盃をいただきました。

 さて、何事にも便利、簡単、スピードが優先される社会にあって、どのような生き方が大切か。ある仏教雑誌に、長年教育に従事された竹下哲先生が大切なポイントを述べられていました。

 第一に、「無理をしない」ということです。普段の生活を振り返ってみてはいかがでしょう。時間的に、経済的に、いろんな無理をしてはいないですか。何事にも少しゆとりのある、控えめな生活が大切です。

 第二に、「無駄をしない」ということです。衣食住、生活全般にわたって必要最小限にして慎ましく生活することです。食べ残しはないですか、無駄遣いはないでしょうか。

 第三に、「無精をしない」ということです。年を重ねてくるとついつい、身近な雑事を周囲の人に頼りがちになります。日常の中で、自分で出来る範囲のことは、自分で行うことが大切です。

 竹下先生は、この「無理をしない」「無駄をしない」「無精をしない」の三つを三無主義と言われました。現代の若者を評した「無気力、無感動、無関心」の三無主義とは大違いです。

 現代はネット社会といわれます。情報を得るにも、買い物をするにも、お仕事をするにも、すべてがインターネットを中心にした生活です。

 しかし、どのように時代が変わろうとも、一度きりの限りあるいのちを持ちながら生きる人間が、大切にすべき基本的な生き方があります。

 竹下先生の三無主義に学びましょう。

2011年1月1日~大切な三無主義を2010年12月31日【135】

12月16日~確かな安心覚えて…

 境内にあるイチョウの木、北風に吹かれていま落葉しきりです。

 さて、早いもので今年もあと半月となりました。毎年のことですが、今年も多くのご門徒方をお見送りしました。お浄土に参られた方は、ご年配の方、働き盛りの方、お若い方、様々でした。

 五百年前、蓮如上人が『御文章』で、「我やさき人やさき、今日とも知らず明日とも知らず、たとえあとに残る者でも、草の葉の先に宿る露がごとくのいのちと言えり」とおっしゃっていますが、人の命のはかなさは今も昔もかわりありません。

 先日お亡くなりになったOさんもそうでした。奥さまに先立たれ、ご本人も心臓の病気をお持ちでしたが、いつもお寺にお参りになって声高らかにお念仏をお称えになる方でした。

 しばらくお姿が見えないが…と思っていましたら、今年の夏頃から体調を壊し入院。術後の様態が思わしくなく、残念なことに、先般お亡くなりになりました。お葬式を勤めしましたが、お勤めの途中、生前のOさんの言葉が次々に思い起こされました。

 「わしには神様はいらん、阿弥陀さんだけおってくださったらええ」、「わしは親鸞さまが大好きや」、「お浄土に参って母ちゃんとまた会いたかな」。ご法座が終わったあと、本堂でお茶を飲みながら、いつもこう話されていました。

 本堂のお内陣の仏具を進納していただきましたが、「母ちゃんがおるお浄土がもっときれいになったらええな」と、手を合わせておっしゃっていました。

 Oさんが亡くなったことはまことに寂しいことですが、その言葉を思い起こすとき、きっと今、阿弥陀様のお浄土に往き生まれて、大好きだった親鸞さま、奥さまと共に如来様のお心をいただいておられるだろうと、確かな安心を覚えるのです。

 Oさんのおだやかなお念仏の声が、今でも私の耳の中で響いています。

 今年も覚照寺「心の電話」をお聞きくださって有り難うございました。

12月16日~確かな安心覚えて…2010年12月09日【134】

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